証人喚問

ご訪問ありがとうございます。

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ブログは、かばおが実際に写真を撮った時間で投稿しています。
しかも行った順番に書いていないので、話が飛んでたりします。

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佐川氏の証人喚問速報をチラ見しながらブログを書いて、
仕事が全然進んでいません汗

毎回思うのですが、国会での証人喚問って意味あるんですか?
刑事訴追の恐れがあるとか言って、どうせ何も答えないですよね。

何のためにやっているのか不思議です。
でも、答弁の行方が気になって、仕事もそこそこにネットをチェックしています笑







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# by iamkabao | 2018-03-27 14:36 | ブログ更新のお知らせ | Trackback | Comments(0)

美東サービスエリアを出発して、どんどん進んでー、
壇ノ浦パーキングエリアに立ち寄らず(連休はいつも混んでるから)
関門橋を渡って九州に上陸しましたー(今年のお盆以来です)。

北九州ジャンクションで東九州自動車道(大分・宮崎方面)へ入りました。
5月23日に、北九州市-宮崎市の間がついに直結したんですね。
数年前に来た時は、鹿児島~宮崎の先までしか完成していませんでした。





豊前インターチェンジで下りて、道の駅豊前おこしかけでトイレ休憩です。
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おとなり中津市のご当地グルメ、中津唐揚げのチラシなどもありましたよ。
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12月30日なので、今年の営業(レストランとか?)は今日までですね。
ここでちょっと休憩して、そのまま一般道を走ります。





道の駅豊前おこしかけから15分ぐらいで、
中津市にある福澤諭吉旧居・福澤記念館に到着しました。
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かばおのたっての希望です。
憧れの慶應義塾の創設者だからですか?
月に数枚しかもらえない1万円札の人だからですか?





豊前国中津藩(現・大分県中津市)で生まれたあと大板に住んでいましたが
父上が亡くなり、その後に母上と兄弟と一緒に大板から帰藩し、
1歳6ヵ月~19歳までを過ごした家だそうです。
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「学問のすゝめ」のベースになったと言われている中津留別之書(なかつるべつのしょ)
の一部が引用されている看板もありました。
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ご興味のある方は、青空文庫で無料公開されています。




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周辺マップも^^。 町おこしも重要です。
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それでは中に入ってみましょう!



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# by iamkabao | 2017-12-30 12:14 | 2017年九州 | Trackback | Comments(0)

2017年の年末年始も例年にならって南へ出かけました。

かばおのリクエストの大分県、かばお妻のリクエストの鹿児島県にそれでは出発しましょう!


12月28日(木)の夜8時ごろに自宅を出発し、新東名を抜けて翌29日の午後に
中国自動車道の加西サービスエリア(下り)に到着しました。
カーナビは山陽自動車道をしつこく表示してきますが、渋滞を回避しやすいので中国自動車道が
お気に入りです。
ですが、とにかくカーブが多いので一瞬のよそ見も禁物です。





加西サービスエリアの2Fにあるレストランで遅めのお昼をいただきました。
14時過ぎだったのでなんとか座れました。ホッ。

かばおは、しゃぶしゃぶだったかな?
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↓ 卵と長芋を一緒の器に入れていただくのだそうです。へー。
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あこがれの但馬牛です!!





わたしは、ビーフシチュー。
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念願の但馬牛です!!





その後ものろのろ中国道を走り、途中スマートICから出て銭湯に行ってきて、
戻ってきて広島県の安佐サービスエリアで車中泊しました。

20時ぐらいに着いたら停車している車はまばらで、しかも背後に巨大な石が限りなく並んでいる
ではないですか!!
えっ、墓地?と一瞬凍ってしまいましたが(近くに行って確かめましたが暗闇でわからず ←なんちゅー女ぢゃ)、
インターネットで検索してみると、
約1万個の石が35mにもわたって積み上げられている転石庭園だそうです。





翌30日は朝5時ごろに目が覚め、奴ら1号2号(雑種犬2頭)を軽く散歩させ、
どんどん進んでーー、美東(みとう)サービスエリア(下り)で朝食です。
かばお家は毎度まいどの美東です。この辺りはあまりSAがないので 泣


フグかつ丼定食と、フグの唐揚げだったかな?
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フグLOVE(かばお妻)。どこがおいしいの?(かばお)





美東サービスエリアの1つ先にある美祢パーキングエリア付近で、2013年の秋に桜塚やっくんが
交通事故でお亡くなりになりましたね。

特にカーブがきつくて見通しが悪い場所で、通るときはいつも緊張しています。

やっくん、なんで車外に出て路上を歩いたんでしょう。
あまりにも危険すぎます。悔やまれます。
わたしが後続車の運転手だったとしても、避けきれずにひいちゃったと思います。




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# by iamkabao | 2017-12-29 14:09 | 2017年九州 | Trackback | Comments(0)

野口英世記念館(続き)

(前回からのつづきです)

あれ以来野口英世の本を立て続けに読みました。
かばおからも「そんなにおもしろいの??」とさんざん言われましたが。

英日翻訳(かばお妻の仕事です)に理工学系が多いのもあって、
野口英世が歩んだ人生よりも、野口英世が遺した研究内容に興味深々でした。

ノーベル賞の候補に4回あがったほどの世界的な学者だったにもかかわらず、
今では「梅毒のスピロヘータ培養」しか野口の実績としてありませんが。
(これも追試に成功した人はいないらしいです・・・汗)

科学はまさに日進月歩なんだと思い知らされます。



そして、こちらがその本たちです(かばお妻のくだらん解説付き)。

① 若き日の野口英世 誕生から渡米まで(野口英世記念会)
よく知られている事実がそのまま書かれている。脚色してない(と思う)のでおすすめ。

② 遠き落日 上・下(渡辺 淳一)
小説として発表された作品なので文句は言わないですが、著者の個人的な感情が入りすぎてる気が。

③ 遠き落日 DVD
英世の母シカ役の三田佳子さんお美しい~。
三上博史も英世によく似てた(小柄で猫背なとことか)。

④ 野口英世 波乱の生涯(星 新一)
英世の親友だった星 一の息子だから知りえた細かな事実が少し(ほんのわずか)含まれていて良かった。
日本への凱旋帰国の費用は星 一が出してくれたけど、一度はそれを道に落としちゃった、とか。

⑤ 野口英世の母シカ(田中章義)
英世の母、シカに焦点をあてた内容。
シカが中田観音を熱心に信仰していたことがよくわかった。でも、
アメリカへ渡る渡航費用は英世が自分で貯めた、とか
東京見物の際に三越で孫たちのお土産を選んだ、とか
フィクションも行き過ぎでは??

⑥ 野口英世は眠らない(山本 厚子)
英世の世界での活躍を丁寧に追った内容。特にアフリカでの活動のようすがわかった。
著者は英世をかなり研究してるらしい。
ニューヨークにある英世の墓のとなりにメリー(英世の妻)も埋葬されているのに墓石がなくて
土足で踏みつけてたことに気が付き、野口英世記念会にたのんで墓石を建ててもらったんだとか。
気遣いが女性らしい。

⑦ 野口英世知られざる軌跡(山本 厚子)
英世の妻、メリー・ロレッタ・ダージズに焦点をあてた内容。
まるでメリーから直接聞いたようにメリーの気持ちが描写されてるけど、
会ったこと一度もないんでしょ??

⑧ 明治の人物誌(星 新一)
英世が日本へ凱旋帰国した時に横浜港まで星 一も出迎えに行った一人だったが、
星製薬が裁判沙汰になってたので、国民的行事に水をさすから報道されなかったとか。
当時の日本は言論統制が敷かれてたんだな(第二次大戦前だからそうか)。

⑨ 野口英世書簡集 II(野口英世記念会)
英世が英語で書いた手紙を一冊にまとめたもの。
日本語で書いた手紙は漢文まじりでさっぱり読めないけど、英語はあまり変わっておらず
内容がよくわかる。
インターネットもないし電話もない(かな?)から、膨大な量の手紙が現存しています。
でもまだほとんど読んでません。

⑩ 野口英世(イザベル・プレセット)
イザベル(カリフォルニアに住んでた女性)の実父が英世と知り合いで研究に協力していたらしい。
晩年を英世の研究に費やした人。
来日した際に野口英世会館(当時は新宿区にあった)の英世像の前で泣き崩れたらしい。
まだ読んでません。

⑪ 野口英世の親友・堀市郎とその父櫟山(西島太郎)
英世がメリーと結婚して引っ越してきたアパート(ニューヨーク)の隣に住んでいた堀市郎と
その父(ともに画家)についての内容。
一番長く過ごした親友といえば堀市郎、って感じですけどね。
それにしても英世は人とうまくやれる人だったみたいで、親友が多かったんですね。
まだ読んでません。




かばおが買って読んでた本
⑫ まんが 少年 野口英世(野口英世記念館)
読んだけど内容忘れました。

⑬ まんが 世界の医学者 野口英世(野口英世記念館)
読んだけど内容忘れました。

⑭ Dr.NOGUCHI コミック全17巻(むつ 利之)
まだ読んでません。



明治時代にタイムスリップして、市ヶ谷のあたりから東京湾とか白金村を一望してみたいです。


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# by iamkabao | 2017-09-09 11:20 | 2017年東北 | Trackback | Comments(0)

野口英世記念館

野口英世といえば、目にしない日はほとんどありませんよね??
(クレジットカードと諭吉を持たず、の私の場合。)

野口英世記念館の前は今まで何回も素通りしていたのですが、
今回どういうわけか、ふと訪れてみたくなり行ってきました。
2015年4月に全面リニューアルオープンしたばかりで、とってもきれいでした。





エントランス前で野口英世の胸像がお出迎えです。
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野口英世は千円札の人だってぐらいしか知らなくて、伝記も読んだことなかったんです(恥)。

・・が、実は小さなころにさんざん話して聞かされた偉人だったんです。
展示を見ているうちに当時の記憶がだんだんと蘇ってくることになりました。





それでは中に入りましょう。

1Fのホールを通り抜けて中庭に出るとまず左手に救世観音堂があります。
「救世観音大士」(永平寺貫首の泰彗昭氏による揮毫)と書かれています。
中には一葉観音像が祭られています。
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英世の母シカは生涯にわたって中田観音を大変信仰しており、
それに感銘を受けた堤イト氏が1939年(昭和39年)の野口英世記念館のオープンに
合わせて寄贈したもので、秋元宗清氏の彫刻です。

観音の体内には、小林栄先生がアメリカの英世に送った念持仏が収められているそうです。





これがあの有名な小川です。
母シカがここで洗濯をしていてちょっと目を離したすきに、
英世が囲炉裏の中に転げ落ちてしまったのでした。
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この小川は当時のままで、今でも用水路としての役割を果たしているそうです。





ぐるぐると中庭を回ってくると、英世の生家が当時のまま現存されています。
生家で過ごしたイメージビデオを見ることができます。
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どん底の貧乏だったとは言いながら以外と大きな家だなー、と思ってしまいました。
(左側1/3ぐらい写真から切れてます 泣)
馬小屋(右端)まで一緒になっていたのですね。





こちらは座敷です。
床の間と押入れの間にある床柱に、英世が何やら彫っていますね??
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床柱に彫られた文字の拡大写真 ↓ です。
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「志を得ざれば再び此地を踏まず」。
成功しない限りは実家に帰らないそうです。すごい決心ですね。いやー。

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お隣は、今でいうリビングでしょうか?
右手前は、1歳半の英世が籠から出てまさに囲炉裏に落ちようとしていますっ!!

英世が落ちて左手に大やけどを負い左手がグーのまま固まってしまいました。
実際の囲炉裏が現存されています。
(当時は同様の事故が日本各地で何件もあったそうです。)
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左側の手前は蚕棚です。
母シカが蚕に与える葉をつんだ桑の木も、当時のまま庭に残されています。





家の右端にある馬やです。
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それでは、中庭から野口英世記念館の館内に戻り2Fの展示室へ上がりましょう。

生家を発ってからアメリカで活躍した様子が、英世似の役者さん演じる
ビデオになっています。

展示は
1876~1893年(1歳~18歳) 猪苗代、会津若松時代
1896~1900年(19歳~22歳) 東京時代
1900~1918年(アメリカ、デンマーク時代)
その他
に分かれています。
↓写真はそのごくごくごくごく一部です(かばおが気まぐれで撮っただけ)。
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展示を見るにつれ、
小学校に上がる前の頃におばあちゃんが野口英世のことをよく話して聞かせてくれたことを
ふと思いだしました。
この年まで自分の中では野口英世を千円札でしか知らないことになっていたのに。
40年近く思い出したことは一度もありませんでした。

野口英世が日本に一度だけ凱旋帰国したのが大正4年。
おばあちゃんが生まれたのは大正5年。
義務教育の尋常小学校を幸運にも卒業できただけのおばあちゃんが伝記やらを読んだとは
とても思えないので、
日本全体が野口英世で一番盛り上がっていた時代だったのでしょうね。

しかも、借りた金はもらった金、遊郭大好きという実情がオープンになったのが第二次大戦後で、
大正~戦前までは英世の偶像崇拝が進んでいたらしく、
・みんなからカンパしてもらって16歳で左手の手術を受けた際、麻酔を使用せずに本を読んで痛みに耐えた
・「自分も黄熱病に罹ってよかった。今まで治してあげられなかった患者さんの分も自分が苦しむことができる」と英世が言った
とおばあちゃんから聞きましたが、これは事実ではありません(何冊かの資料で確認済み)。



おばあちゃんの記憶が影響しているのかわかりませんが、その後に野口英世の本を何冊も読んでしましました。
(まだ3冊残っています。)

伝記とはもはやフィクションですね、数ある野口英世の伝記はみんな内容が違います。



野口英世にしばし憑りつかれていました。
長くなってきたので次回に続きます。
(次回は写真ありません。)


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# by iamkabao | 2017-09-09 11:10 | 2017年東北 | Trackback | Comments(0)