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野口英世記念館

野口英世といえば、目にしない日はほとんどありませんよね??
(クレジットカードと諭吉を持たず、の私の場合。)

野口英世記念館の前は今まで何回も素通りしていたのですが、
今回どういうわけか、ふと訪れてみたくなり行ってきました。
2015年4月に全面リニューアルオープンしたばかりで、とってもきれいでした。





エントランス前で野口英世の胸像がお出迎えです。
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野口英世は千円札の人だってぐらいしか知らなくて、伝記も読んだことなかったんです(恥)。

・・が、実は小さなころにさんざん話して聞かされた偉人だったんです。
展示を見ているうちに当時の記憶がだんだんと蘇ってくることになりました。





それでは中に入りましょう。

1Fのホールを通り抜けて中庭に出るとまず左手に救世観音堂があります。
「救世観音大士」(永平寺貫首の泰彗昭氏による揮毫)と書かれています。
中には一葉観音像が祭られています。
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英世の母シカは生涯にわたって中田観音を大変信仰しており、
それに感銘を受けた堤イト氏が1939年(昭和39年)の野口英世記念館のオープンに
合わせて寄贈したもので、秋元宗清氏の彫刻です。

観音の体内には、小林栄先生がアメリカの英世に送った念持仏が収められているそうです。





これがあの有名な小川です。
母シカがここで洗濯をしていてちょっと目を離したすきに、
英世が囲炉裏の中に転げ落ちてしまったのでした。
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この小川は当時のままで、今でも用水路としての役割を果たしているそうです。





ぐるぐると中庭を回ってくると、英世の生家が当時のまま現存されています。
生家で過ごしたイメージビデオを見ることができます。
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どん底の貧乏だったとは言いながら以外と大きな家だなー、と思ってしまいました。
(左側1/3ぐらい写真から切れてます 泣)
馬小屋(右端)まで一緒になっていたのですね。





こちらは座敷です。
床の間と押入れの間にある床柱に、英世が何やら彫っていますね??
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床柱に彫られた文字の拡大写真 ↓ です。
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「志を得ざれば再び此地を踏まず」。
成功しない限りは実家に帰らないそうです。すごい決心ですね。いやー。

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お隣は、今でいうリビングでしょうか?
右手前は、1歳半の英世が籠から出てまさに囲炉裏に落ちようとしていますっ!!

英世が落ちて左手に大やけどを負い左手がグーのまま固まってしまいました。
実際の囲炉裏が現存されています。
(当時は同様の事故が日本各地で何件もあったそうです。)
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左側の手前は蚕棚です。
母シカが蚕に与える葉をつんだ桑の木も、当時のまま庭に残されています。





家の右端にある馬やです。
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それでは、中庭から野口英世記念館の館内に戻り2Fの展示室へ上がりましょう。

生家を発ってからアメリカで活躍した様子が、英世似の役者さん演じる
ビデオになっています。

展示は
1876~1893年(1歳~18歳) 猪苗代、会津若松時代
1896~1900年(19歳~22歳) 東京時代
1900~1918年(アメリカ、デンマーク時代)
その他
に分かれています。
↓写真はそのごくごくごくごく一部です(かばおが気まぐれで撮っただけ)。
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展示を見るにつれ、
小学校に上がる前の頃におばあちゃんが野口英世のことをよく話して聞かせてくれたことを
ふと思いだしました。
この年まで自分の中では野口英世を千円札でしか知らないことになっていたのに。
40年近く思い出したことは一度もありませんでした。

野口英世が日本に一度だけ凱旋帰国したのが大正4年。
おばあちゃんが生まれたのは大正5年。
義務教育の尋常小学校を幸運にも卒業できただけのおばあちゃんが伝記やらを読んだとは
とても思えないので、
日本全体が野口英世で一番盛り上がっていた時代だったのでしょうね。

しかも、借りた金はもらった金、遊郭大好きという実情がオープンになったのが第二次大戦後で、
大正~戦前までは英世の偶像崇拝が進んでいたらしく、
・みんなからカンパしてもらって16歳で左手の手術を受けた際、麻酔を使用せずに本を読んで痛みに耐えた
・「自分も黄熱病に罹ってよかった。今まで治してあげられなかった患者さんの分も自分が苦しむことができる」と英世が言った
とおばあちゃんから聞きましたが、これは事実ではありません(何冊かの資料で確認済み)。



おばあちゃんの記憶が影響しているのかわかりませんが、その後に野口英世の本を何冊も読んでしましました。
(まだ3冊残っています。)

伝記とはもはやフィクションですね、数ある野口英世の伝記はみんな内容が違います。



野口英世にしばし憑りつかれていました。
長くなってきたので次回に続きます。
(次回は写真ありません。)


by iamkabao | 2017-09-09 11:10 | 2017年東北